ミトンブログ

岡山市中区高屋のパン屋、mittenのブログ。

シュトレン

「このパンが、

こんな値段だったらびっくりするわ!」

 

そう談笑しながら店を後にした

4人組のご婦人。

 

奇遇である。

私もそう思っていた。

 

それをはじめて目にした

6年前、そのときは。

 

値段が高いと言われたのは

他でもない、

知ってる人は知っている、

クリスマスの定番。

「シュトレン」である。

正確に言えば、

「シュトレン」はパンではない。

発酵菓子という分類になる。

 

ドイツ生まれの

伝統的な発酵菓子「シュトレン」。

一般的にも、その価格はたしかに高い。

 

けれども、

実際に食べてみなければ、

その価値は分からない。

レーズンもたくさん入っているだけに、

それこそ

『酸っぱい葡萄』になってしまう。

 

そんな風に思いながら、

勇気を出して、

はじめて「シュトレン」を購入した。

食べてみて分かったのは、

その中身の贅沢さである。

たくさんのフルーツに

アーモンドパウダーで作ったマジパンに

ナッツ、バター、砂糖。

なるほど、原材料費が高い。

 

しかし、

そんなことは食べなくとも分かる。

 

恥ずかしながら、

「シュトレン」の本当の価値に
辿り着いたのは、
自分で店をはじめてからだった。

 

実際に食べてみて、

この手で作ってみて、

分かったことがある。

「シュトレン」の価値は

そこにかかる「時間」 にあるのだ。

 

まず、

洋酒に漬け込んだフルーツは、

夏の終わりから

たっぷり「時間」をかけて熟成させる。

 

そこから、

それなりの手間ヒマをかけて作るのだが、

「時間」が意味を持つのは、

作っているときだけではない。

 

「シュトレン」は焼き上げた後も、

「時間」と共にその味わいが変化してゆく。

焼き上がってから日が浅いモノは、

ナッツの香ばしさが

より際立っている。

 

1週間、それ以上寝かせたモノは、

フルーツの奥深い味わいが生地に移り、

風味豊かなしっとりとした食感になる。

 

と、

「シュトレン」の

作り方や特徴を一生懸命書いてみたが、

こんな説明は、

二の次だと思っている。

 

 本当に、

「時間」が重要な意味を持つのは、

私たちの手を離れた後。

 

個人的に、

「シュトレン」が持つ贅沢は、

それを食べる「時間」にある、

と思っている。

 

もう少し分かりやすく言うと、

私は、

「シュトレン」の食べ方にこそ、

本当の価値があると思っている。

 

クリスマスの日を待ちわびながら、

大切な人と一緒に過ごす、1日、1日。

その1日、1日に

ひと切れずつ

コーヒーやお酒を片手に

他愛ないことを話しながら食べていくのが、

ドイツ生まれの「シュトレン」である。

 

時間をかけて作られた「シュトレン」は、

日持ちがするので、

時間をかけて食べることができる。

 

ドイツの人々にとって、

大切な人と

未来のことを思いながら過ごす「時間」は、

どんなモノにも及ばない贅沢なのだ。

 

日本のクリスマスケーキは、

一夜限りで終わってしまう。

たしかに、

それも良いと思う。

 

けれども、

少しずつ少しずつ、

長い時間をかけて楽しむという知恵もまた、

今の時代にこそ、

見直されるべきことなのではないかと

思っている。

 

ひと切れ、ひと切れの「シュトレン」には、

しっかりと日々の生活が宿っている。

その日常をドイツの人々は文化とし、

ときには形を変えながらも、

「シュトレン」は、

今日まで受け継がれてきた。

 

「シュトレン」が紡ぎ出す日常は、

まちのパン屋の目標であり、

スタートラインでもある。

 

まちのパン屋は、

今年も「シュトレン」を作る。

 

まとめて大量に作らず、

今年もこまめに

何度も焼きたての「シュトレン」を作るのは、

そこにまつわる

いろんな「時間」を

より大切にしたいという思いからである。

 

またこれは、

「シュトレン」の本場、

ドイツに対する

日本の

まちのパン屋の

ささやかなチャレンジでもあると、

静かに、勝手に、燃えている。

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だだちゃ豆

歌には、不思議な力がある。

 

だだちゃ豆のうた』を聴くと、

無性に「だだちゃ豆」が食べたくなる。

 

だだちゃ豆」というのは、

山形県庄内地方の特産品である。

枝豆の仲間なのだが、

「だだ、茶豆」ではない。

正しくは「だだちゃ、豆」。

「だだちゃ」というのは、

庄内地方の言葉で、

「お父さん」というらしい。

 

思いもよらず、豆知識を得た。

 

そんなことを教えてくれたのは、

とある音楽LIVEに於いて。

「いぶきさらさ」という

デュオユニットのトークからである。

 

私たちは、

もともと「いぶきさらさ」のお二人を

知っていた訳ではない。

一人のお客さんに薦められて

CDを聞き、

文字通りアットホームなLIVEに

誘っていただいた。

 

彼らが歌う『だだちゃ豆のうた』を聴き、

無性に「だだちゃ豆」が食べたくなった。

 

食べものの歌といえば、

くるり」を思い出す。

くるり」は、私が好きなロックバンド。

彼らの曲には、

たくさんの乗りものが登場するのだが、

同じくらい、

食べものも登場することは、

知る人ぞ知るところである。

 

『カレーの歌』を聴くと、

素朴なカレーが食べたくなる。

琥珀色の街、上海蟹の朝』を聴くと、

上海蟹にかぶりつきたくなる。

 

『ハム食べたい』を聴くと、

フランスパンにハムを挟んで、

これまた、

豪快にかぶりつきたくなる。

 

歌には、不思議な力がある。

 

少し調べてみた。

なんと、

この国には

『フランスパンの歌』や

『クロワッサンの歌』なるものが

存在するようだ。

(その内容はさておき・・・)

 

だがやはり、

最も有名なパンの歌といえば、

アンパンマンのマーチ』だろう。

 

改めて、思い出してみる。

 

 すぐさま、

大変失礼な思い違いに気付いた。

 

これは、

パンの歌ではなく、

ヒーローの歌だった。

 

アンパンマンのマーチ』を聴いて、

アンパンが食べたくなるというのは、

さすがに無理がある。

私たちの心も

そこまでパンに狂ってはいない。

 

無性にパンが食べたくなる歌が

あったらいいな。

 

「いぶきさらさ」さんの

だだちゃ豆のうた』を聴いた後、

ヨコシマに思いを馳せてしまったのは、

ここだけの話である。

 

まちのパン屋は、

今日もパンを作る。

 

『ミトンの歌』なんて

作れたら面白そうだが、

あいにく、

ピアノすらまともに弾けない。

これは、叶わない夢である。

 

なので私たちは、

パン作りに専念する。

ときに、

だだちゃ豆のうた』を

鼻歌で歌いながら。

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ドドドォー!!!ナツ

電話が鳴る。

「ドーナツ20個、

  20分後くらいにいけるかな?」

 

電話の主は、

他ならぬ、

たまごドーナツの生みの親。

 

ミトンのたまごドーナツは、

この方の

「素朴でおいしいドーナツが食べたい」

とのリクエストから生まれた。

 

おかげさまで、

今年初めに登場した

たまごドーナツは、

ここまで作り続けることができた。

 

たくさんの方に愛される

丸いたまごドーナツ。

しかし、

まちのパン屋で

「ドーナツ20個!」

と一度に大量のオーダーをするのは、

生みの親の彼ぐらいである。

 

はじめは、

「ドーナツ20個!1時間後くらいに!」

というオーダーだった。

訪問先へのちょっとした手土産である。

せっかくなので、

某ドーナツ屋さんのように箱に入れて

お渡しする。

 

そんなオーダーが時々

切羽詰まったものになってきた。

「20個!15分後!いけるかな?」

さすがに少し厳しい。

「20分いただければ!」

とお願いする。

 

間もなく、

ドーナツを取りに彼がやってきた。

けれども、

その表情はどこか冴えない。

 

いつものように

「お土産ですか?」

と尋ねてみる。

「いや。」

やはり冴えない。

 

会社を経営する立場にある彼は、

振り絞るように答えてくれた。

「不良品が出たから、

 これから謝りに行く。」

 

なるほど。

だから切羽詰まっていたのか。

だから15分後という急なオーダーなのか。

ならばこちらも

頑張って応えるしかない。

 

謝罪の手土産にたまごドーナツ。

それを初めて聞いたときは、

有難いような、

なんだか申し訳ないような、

複雑な気持ちであった。

 

だが、あるときふと思った。

絶対に彼はそう考えている。

もしかしたら、

実際に言っていたり・・・

いや、さすがにそれは無いか。

 

『どうかこれで

  丸く収めてはいただけませんか。

ドーナツだけに。』

 

ミトンのたまごドーナツは、

丸い抜き型で抜いていない。

少し伸ばした生地を

ベーグルのようにぐるんと巻いて

丸い形にしている。

なので、

ひとつひとつの形や

揚げたときの生地の弾け方は、

それぞれ微妙に異なっている。

 

『どうかこれで

 丸く収めてはいただけませんか。』

 

もしかするとこんな事

彼は言っていないし、

思ってもいないかもしれない。

しかし、

私たちの方は、

勝手にその言葉を胸に

丸いドーナツを作るようになってしまった。

 

『丸く収まれ。丸く収まれ。』

そう念じながら、

ひとつひとつ

丸いドーナツを形作っていく。

個性的なそれぞれの形は

ご愛嬌である。

 

まちのパン屋は、

今日もドーナツを作る。

 

謝罪する機会なんて

無い方がいいかもしれない。

でもでも、

雨降って地固まる

という言葉もある。

 

たまごドーナツで

少しでも事がうまく運ぶならば、

まちのパン屋としては、

これ以上無い

やりがいである。

 

たまごドーナツの向こうには

色んな物語があることを

彼に教えてもらった。

そんな、

たまごドーナツの裏話。 

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カメラよりも

まちのパン屋の前にある道路は、

小学校の通学路である。

そのため、

小学校で何かしらの催しがあると、

人通りがずいぶん多くなる。

 

運動会、参観日、

さらには選挙の投票日。

人通りが多くなると、

有難いことに

パン屋を訪れるお客さんも多くなる。

 

今日はなんだか人通りが多いなー。

と思っていると、

その日は小学校の学習発表会だという。

学習発表会帰り、

一組のご夫婦が教えてくれた。

 

間もなく、

学習発表会帰りの方が次々とご来店。

 

束の間の

てんやわんやな時間がひと段落したのは、

ひとりのお母さんがやって来たときだった。

飾らない上品さがいつも素敵な彼女。

今日は、

ひと仕事終えたお子さんも一緒である。

 

話題はやはり、

先ほどの学習発表会。

 

「お母さんもカメラを回したり

忙しいですよね」

そう投げかけると、

意外にも

「いえいえ」と返ってきた。

 

「ビデオカメラは回さないんです。

   カメラを持ってると

   ちゃんと拍手ができないから。」

 

なるほど。

 

「子供が頑張ってるところ、

   やっぱりちゃんと

   拍手してあげたいからね。」

 

素晴らしい。

 

この子はきっといい子に育つだろうな。

一緒にいたお子さんを見て、

誠に勝手ながら、

そう思った。

 

私たちには子供がいないので、

子育てに関する

現実のところはよく分からない。

しかし、

似たようなことを一つ

思い出した。

 

毎度おなじみ、

広島はマツダスタジアム

野球観戦での一コマである。

 

いよいよやってきた

広島カープの得点チャンス。

皆が声援を送る中、

周りを見渡してみると、

夢中で

グラウンドにスマホカメラを向ける人は

結構多い。

 

もちろん、

観戦の仕方は人それぞれである。

 

けれども

個人的には、

今、ここ、

目の前で戦う選手達の背中を

この声援で後押ししたいと思っている。

3万人の大声援が

どんな劣勢をも跳ね返すことは、

今年も選手達が証明してくれた。

 

学習発表会に野球観戦。

意外とパンも

同じなのかもしれないなと思っている。

 

インスタ映えという言葉が示すように、

昨今の飲食業界を語る上で、

SNSは欠かせないツールとなっている。

 

一つのブームは瞬く間に火がつき、

驚くほどのスピードで消えてゆく。

すぐに売れるものは、

すぐに売れなくなる。

そして、また新しいブームを探す。

売り手も買い手も

いつもSNSの写真に夢中である。

 

あのお母さんは、

たぶんパンの写真を

撮らないだろうなと思った。

またまた、

誠に勝手ながら。

 

まちのパン屋が想うのは、

パンの先にある食卓、

日々の生活である。

 

キラキラした写真も、

一時のブームも、

パンのある食卓、

食文化をなかなか育ててはくれない。

 

地道に

パンの魅力を伝えていかなければ。

 

フランスパンは、

そんなに硬くないですよ。

食パンには無い、

独特の旨味があるのです。

 

こんなことは、

なかなか、

写真やブームに乗って

伝わるものでもない。

 

菓子パン天国と言われる岡山で、

なんとかパンの可能性を広げたいなと。

 

ときにはSNSにも頼りながら、

まちのパン屋は、

今日もパンを作る。

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懐かしの 〜その②〜

前回に続き、

東広島市西条町の話、

その②を。

 

お好み焼き屋を後にして、

もう一人、

近況報告をしたい人のもとを訪ねた。

 

その人は、

バイト先で一緒に働いていた

おばちゃんである。

 

私は学生のとき、

とあるコンビニで

パンを焼くアルバイトをしていた。

 

別に、

もともとパンが好きだった訳ではない。

友達が留学でバイトを辞めるため、

代わりに入ってほしいと言われた。

そして、

私は、なんとなくパンを焼くことになった。

 

そこで出会ったのが、

おばちゃんである。

正確に言えば、2人のおばちゃん。

 

始めての出勤の日。

2人のおばちゃんは、
ベテランだけあって息もピッタリだった。

それも当然。

なんと2人は姉妹。

最初は、

名字が違うので気付かなかった。

 

早朝のパン工房は

2人でパンを作る。

なので、一緒に働くのは、

姉妹のうちのどちらか1人。

又はもう1人の学生バイトの女の子。

 

今回、7年ぶりにお会いしたのは、

姉妹のうち、

お姉さんの方。

偶然にも家が近くだった。

 

大雪により

私の交通手段が全滅したとき、

彼女の車で一緒に出勤したことは

いい思い出である。

 

久しぶりの再会は、

もちろんサプライズ訪問だ。

ひとまず、感謝の気持ちを伝えた。

 

あのとき、

彼女ら姉妹と一緒に働くことができたから、

私は今、

パンを焼いていると思っている。

 

姉妹は、

毎日どんな日でも、

いいパンを作ることに一生懸命だった。

いつも前向きに、

ときに試行錯誤をしながら、

なんとかいいモノを作ろうとする姿に

パン作りの面白さを知った。

 

「眠いなーと思いながらパンを焼いたら、

不思議と眠そうなパンが出来るんよ。」

と教えてくれたのは、

彼女たちである。

 

最初が面白かったからこそ、

大変なことも沢山あったけれど、

たぶん今でも

パンを続けているのだろうと思う。

 

驚くことに、

それは久しぶりに再会した

お姉さんも同じであった。

 

彼女は今、

別のインストアベーカリーで

パンを作っているという。

 

残念ながら、

当時のバイト先は、

数年前に無くなってしまった。

 

コンビニでは、

主に冷凍されたパン生地を解凍し、

発酵させて焼くだけの仕事だった。

 

しかし彼女、

今では、

小麦粉からパン生地を仕込み、

手が痺れるほど

大量のパン生地を切っているという。

あれから、

彼女は想像以上に進化していた。

 

そして一言、

「パン屋って外から見ると

かわいい仕事だけど、

体もあちこち痛くなるし、

結構大変よね。」

 

大変だという気持ちは

よくよく分かるが、

なんだか嬉しくなってしまった。

 

新入社員だった自分と、

ミトンを始めたときの自分と、

今の自分と、

彼女は今、

同じことを思っている。

 

彼女への手土産として、

ミトンの食パンを渡した。

すると思いもよらず、

その製法と型詰のやり方を聞かれた。

 

やっぱり彼女も、

パン作りが好きなようである。

あのときと変わっていない。

いや、

まだまだ進化は止まりそうにない。

彼女は今年、65歳になったそうだ。

 

「応援してるよ」と

自分が言われるために行ったつもりが、

思わず、

「応援しています!」と

彼女を激励していた。

 

まちのパン屋は、

今日もパンを作る。

 

眠たいと思いながら作っては、

いいパンが作れない。

あのときの教えは、

今も確かに覚えている。

 

まだまだ、

最強の姉妹には敵いそうにない。

ちなみに、

部門は違うが、

妹さんも

今、同じ場所で働いているらしい。

 

行きたい場所が、また一つ増えた。

彼女が作ったパンを

食べに行かなければ。

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懐かしの 〜その①〜

昨日、

広島の坂町で開催された、

パンの講習会に参加してきた。

 

その講習会の話はさておき、

今回は帰りに立ち寄った、

思い出の東広島市西条町の話を。

 

その①は、

よく行っていたお好み焼き屋さん。

 

西条には

学生のとき、4年間住んでいた。

家のすぐ近くにあった

お好み焼き屋さんを訪れたのは、

卒業以来である。

 

西条の町の風景は、

随分変わってしまったが、

そのお好み焼き屋さんは

ほとんど変わっていなかった。

 

肉・玉子・そば1.5を食べる。

ねぎのトッピングがうれしい。

食後の甘いコーヒーのサービスも

7年前と同じだった。

 

変わったのは、

壁に飾られたサインコレクションに

カープ監督、

野村謙二郎氏のサインが追加されたこと。

そして、

昨年と今年の

カープ優勝を祝うポスターである。

 

卒業のとき、

お好み焼き屋のお母さんに

自分がパン屋に就職することを

伝えていた。

なので、

その後の報告をしなければと

ずっと思っていた。

 

ようやく、

ミトンのラスクと焼菓子を手土産に

近況報告をすることができた。

 

正直なところ、

あまり話した覚えは無かったのだが、

驚くことに

「あー、やっぱり!」と。

お母さんは7年前の学生を

覚えていてくれた。

 

またここに、

お好み焼きを食べに来ようと思う。

 

この7年間、

色々なお店で

島風お好み焼きを食べたが、

個人的にはこのお店

『紫峰』がNo.1である。

もちろん、

思い出補正込であることは、

間違いない。

 

そういえば、

もうひとつ、

7年前には無かったものを店内に見つけた。

 

創業30年の表彰状である。

 

30年。

自分で店をやってみると、

それが本当にすごいことだと分かる。

7年前、

私が通っていたあの頃は、

創業20年を少し過ぎたとき。

あれから積み重ねたものを思うと、

私たちは、

まだまだ足元にも及ばない。

 

まちのパン屋は、

今日もパンを作る。

創業30年はまだまだ見えない、

先の話である。

 

いや、果たして届くかな。

 

とにかく、

1日1日地道にやっていこうと、

改めて身の引き締まる思いがした。

 

と同時に、

昨日、

久しぶりに訪れた『紫峰』は、

思い出のお店から

目標のひとつに変わったのだった。

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寝坊と服

最近、一気に寒くなってきた。

朝、布団から出るのが辛い季節だ。

 

パン屋は、朝が早い。

寒さに負けて、

ついつい、寝過ごしてしまうこともある。

 

そんな、パン屋の寝坊にまつわる話。

 

数年前、私がパン屋に勤めていた頃。

誰かが寝坊するという、

ちょっとした事件は

数ヶ月に一度は起きるものであった。

 

パン屋は多くの場合、分業制である。

なので、その日に働く人が全員、

一斉に出勤することは無い。

パン生地を仕込む人、切る人、

成型する人、焼く人。

パン生地の発酵に合わせて、

働く人は順次出勤してくる。

 

一番厄介なのは、

言うまでもなく、

仕込み担当者が寝坊することである。

私も一度寝過ごしてしまったことがあるが、

さすがに、

仕込み担当のときは寝坊したことが無い。

 

あの瞬間は、結構ゾッとするものだ。

 

その日は、二番目の出勤。

付いているはずの電気が付いていない。

いるはずなのに誰もいない。

仕込み担当者が寝坊。

事件の第一発見者になった瞬間である。

 

自分が寝坊したときは、

まだいい(いや、よくはないが)。

まず謝り、

いつも以上に頑張るだけだ。

ところが、

第一発見者になると、

寝坊するよりも色々と大変である。

 

その日は、

まず、仕込み担当の先輩に

鬼のように電話を掛ける。

寝ているので、なかなか繋がらない。

起きるまで、何度も何度も掛ける。

と同時に、

本来の作業工程が

全てパーになっているので、

それをすぐさま組み替える。

誰かがやってくるまでの間、

1人で2人分の作業。

なんとかオープンの時間に

間に合わせるため、必死になる。

 

そして、

いつもの倍の密度の仕事もひと段落し、

ようやく休憩の時間。

 

安心したのも束の間、

衝撃の光景は、

更衣室の棚にあった。

 

更衣室の棚には、

各自、出勤時に着ていた服を置いている。

扉は付いていない。

 

私の隣の棚には、

今朝寝坊をして、

鬼のように電話をさせていただいた

先輩の服がある。

 

それがなんと、

驚くほど綺麗に畳んでいるのである。

端はもちろん、ピッタリと揃えている。

まるで正座をして畳んだような様だ。

 

なんなら、慌てて着替えて畳んだ

私の服の方が、

寝坊した人のそれみたいである。

 

先輩は、

確かに息を切らしてやってきたはずだった。

すごく申し訳なさそうだった。

 

けれども服は語りかけてくる。

焦りがまるで無い。

意外と余裕だったのだろうか。

はたまた一周まわって

驚くほど冷静になってしまったパターンか。

 

いずれにしても、

服は脱いでもなお、

その人のことがよく分かる、

ということを思い知った。

 

まちのパン屋は、

明日もパンを作る。

寒い朝も、頑張って起きなければ。

 

という訳で、

寝坊といえば

更衣室の棚、

綺麗に畳まれた服を思い出す、

今日この頃である。

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