ミトンブログ

岡山市中区高屋のパン屋、mittenのブログ。

いつか贈る言葉

ずっと覚えている言葉がある。

 

私が高校生になって入部した

ハンドボール部の先生が、

事あるごとに口にしていた言葉。

 

『飲水思源』

 

その意味は、

読んで字の如く、

「水を飲むときに、その源を思え」

ということ。

 

入部して間もなく、

私はこの言葉を教わった。

ただ、

それなりに厳しい練習を課す

先生が言う言葉である。

 

『飲水思源』

入部したばかりの高校1年生には、

「練習中に飲める水を有り難く思え!」

と聞こえた。

 

1年が過ぎ、

先生は他校に異動することになる。

最後に生徒にかけた言葉も

『飲水思源』。

 

運動部の先生なら、

「努力は裏切らない」とか、

「最後まで絶対に諦めるな」とか、

分かりやすく響く言葉がいくらでもある。

 

確かにそういうことも

言われたような気がするが、

節目はいつも

『飲水思源』だった。

 

厳格な先生がいなくなって、

少しは練習も・・・

と思ったが、

後を継いだ先生も

しっかりストイック。

 

おかげさまで、

私も高校を卒業する頃には、

『飲水思源』が、

水だけの話ではないことが分かった。

 

「人から受けた恩を忘れるな」

というのは、

『飲水思源』が意味する

大事なところである。

 

あれから10年以上が経ち、

分かったつもりになっていた言葉。

久しぶりに先生の口から聞いたのは、

退職される先生のために開かれた

ちょっとした集まりの場。

 

締めの挨拶。

最後に改めて、

これだけは伝えたいと

先生が口にしたのは、

やはり、あの言葉。

 

『飲水思源』

 

ずっと覚えていたつもりだったが、

今さら気付いたことがある。

 

自分は今、

この言葉の真ん中で

仕事をしている。

 

私たちパン屋が

いつも思うのは、

小麦畑に蒔かれた小さな麦の種。

 

そこから長い長い

色んな道を通って

パンができる。

 

パン屋がパンを作るというのは、

小麦が果てしない旅路の末に辿り着く

最後の

ほんの一瞬のところ。

 

ずっと覚えているパン屋さんがある。

 

そのパン屋さんは、

雑誌のパン特集なんかでも

よく取り上げられる

東京のお店。

 

一度は行ってみたいと、

電車を乗り継いで訪ねた。

 

時刻は午後4時前。

思っていたよりも

こじんまりとした店構え。

 

扉を開けると、

そこには

本で見ていた店主が1人。

 

驚いたのは、

陳列台に並ぶパン。

いや、

並ぶと言うよりは、

ただ1つ

小ぶりなパンが鎮座していた。

 

迷うことなく

私たちが購入したのは、

白桃とゴルゴンゾーラのパン。

なかなかクセがすごい。

でも、最後の1個。

パンがあって良かった。

 

実は

そのパンが、

店のスペシャリテだと知ったのは、

ずっと後のこと。

 

今だから、

分かることがある。

 

あの、

最後の1つのパンを売るために

店主は、

どれだけの人の背中を見送ったのだろう。

 

どれだけ心を込めて

パンを作っても、

最後の1個まで売り切るというのは、

とても難しい。

 

陳列台に並ぶパンの数が少なくなれば、

多くの人が、

「これだけしか無いの?」と

口にして踵を返す。

 

無理もない。

近くには、

いつでも何かがある

コンビニという店がいくらでもある。

今は、

とても便利な世の中なのだ。

 

残念ながら

多くのパン屋には、

どの商品も

最後の1個というのが、

やってくる。

 

それを大切に

しっかり売ろうとする

あの店主の姿は

私たちにとって

忘れられないモノになった。

 

毎日たくさんのパンを作り、

「今日はよく売れている。

 1つしか余ってない。」

そんなことを

思っていた日々を省みた。

 

パン屋に対する

私たちの価値観も

少し変わった。

 

良いパン屋というのは、

パンが溢れるほど並び、

行列が絶えないような店ではない。

 

私たちが思う

良いパン屋というのは、

心を込めて作ったパンを

最後の1つまで大切にできる

パン屋である。

 

もちろん、

おいしいパンでなければ、

最後の1個のパンが

売れるなんてことはありえない。

 

だから、

最後の1個の

クセがすごい

白桃とゴルゴンゾーラのパンが売れる

あのパン屋さんは、

とても良いパン屋さん。

今、

心からそう思っている。

 

小麦畑に蒔かれた小さな麦の種を思い、

最後の1個のパンまで大切にすること。

 

それが、

『飲水思源』に対する

まちのパン屋の答え。

 

もっと分かりやすく言うならば、

それは

『食麦思源』

といったところ。

 

まあ、

あまりにもゴロが悪いので、

言葉を口にすることはないが、

いつも心に留めている。

 

まちのパン屋は、

今日もパンを作る。

 

店頭ではお知らせしているが、

私たちのもとには

まもなく

新しい命が誕生する。

 

彼が成長して、

四字熟語が分かるようになったら、

『飲水思源』という言葉を

教えようと思う。

 

いつか君が

その言葉に

自分なりの意味を見つけてくれたら、

パン屋の両親は

とても嬉しい。

 

今は、

もうすぐ出会う

その日を

楽しみに待っている。


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