ミトンブログ

岡山市中区高屋のパン屋、mittenのブログ。

懐かしの 〜その②〜

前回に続き、

東広島市西条町の話、

その②を。

 

お好み焼き屋を後にして、

もう一人、

近況報告をしたい人のもとを訪ねた。

 

その人は、

バイト先で一緒に働いていた

おばちゃんである。

 

私は学生のとき、

とあるコンビニで

パンを焼くアルバイトをしていた。

 

別に、

もともとパンが好きだった訳ではない。

友達が留学でバイトを辞めるため、

代わりに入ってほしいと言われた。

そして、

私は、なんとなくパンを焼くことになった。

 

そこで出会ったのが、

おばちゃんである。

正確に言えば、2人のおばちゃん。

 

始めての出勤の日。

2人のおばちゃんは、
ベテランだけあって息もピッタリだった。

それも当然。

なんと2人は姉妹。

最初は、

名字が違うので気付かなかった。

 

早朝のパン工房は

2人でパンを作る。

なので、一緒に働くのは、

姉妹のうちのどちらか1人。

又はもう1人の学生バイトの女の子。

 

今回、7年ぶりにお会いしたのは、

姉妹のうち、

お姉さんの方。

偶然にも家が近くだった。

 

大雪により

私の交通手段が全滅したとき、

彼女の車で一緒に出勤したことは

いい思い出である。

 

久しぶりの再会は、

もちろんサプライズ訪問だ。

ひとまず、感謝の気持ちを伝えた。

 

あのとき、

彼女ら姉妹と一緒に働くことができたから、

私は今、

パンを焼いていると思っている。

 

姉妹は、

毎日どんな日でも、

いいパンを作ることに一生懸命だった。

いつも前向きに、

ときに試行錯誤をしながら、

なんとかいいモノを作ろうとする姿に

パン作りの面白さを知った。

 

「眠いなーと思いながらパンを焼いたら、

不思議と眠そうなパンが出来るんよ。」

と教えてくれたのは、

彼女たちである。

 

最初が面白かったからこそ、

大変なことも沢山あったけれど、

たぶん今でも

パンを続けているのだろうと思う。

 

驚くことに、

それは久しぶりに再会した

お姉さんも同じであった。

 

彼女は今、

別のインストアベーカリーで

パンを作っているという。

 

残念ながら、

当時のバイト先は、

数年前に無くなってしまった。

 

コンビニでは、

主に冷凍されたパン生地を解凍し、

発酵させて焼くだけの仕事だった。

 

しかし彼女、

今では、

小麦粉からパン生地を仕込み、

手が痺れるほど

大量のパン生地を切っているという。

あれから、

彼女は想像以上に進化していた。

 

そして一言、

「パン屋って外から見ると

かわいい仕事だけど、

体もあちこち痛くなるし、

結構大変よね。」

 

大変だという気持ちは

よくよく分かるが、

なんだか嬉しくなってしまった。

 

新入社員だった自分と、

ミトンを始めたときの自分と、

今の自分と、

彼女は今、

同じことを思っている。

 

彼女への手土産として、

ミトンの食パンを渡した。

すると思いもよらず、

その製法と型詰のやり方を聞かれた。

 

やっぱり彼女も、

パン作りが好きなようである。

あのときと変わっていない。

いや、

まだまだ進化は止まりそうにない。

彼女は今年、65歳になったそうだ。

 

「応援してるよ」と

自分が言われるために行ったつもりが、

思わず、

「応援しています!」と

彼女を激励していた。

 

まちのパン屋は、

今日もパンを作る。

 

眠たいと思いながら作っては、

いいパンが作れない。

あのときの教えは、

今も確かに覚えている。

 

まだまだ、

最強の姉妹には敵いそうにない。

ちなみに、

部門は違うが、

妹さんも

今、同じ場所で働いているらしい。

 

行きたい場所が、また一つ増えた。

彼女が作ったパンを

食べに行かなければ。

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