ミトンブログ

岡山市中区高屋のパン屋、mittenのブログ。

また来年

楽しい1週間だった。

悔しさも、

もちろんあるが。

 

無論、カープの話である。

今日は、

パンの話は置いておく。

 

昨日、

広島東洋カープ

今シーズン全ての試合が終わった。

 

最後の試合は、

スタジアムで応援することができた。

気は済んだつもりだが、

悔しい気持ちも少々。

 

それでも、切り替えて。

また来年。

ただ応援するだけなのに、

明日が楽しみになる日々を、

来年も期待している。

 

仕込むとは、

未来を信じることである。

 

野球選手にとって、

仕込むとは

日々の練習のことだろう。

 

カープの厳しい練習を想像しながら、

パン屋も同じように、

未来を信じているのだと、

勝手に思っている。

 

まちのパン屋は、

これからもカープを応援する。

岡山で、

今日もパンを作りながら。

 

それにしても、

筒香選手のHRは凄かった。

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灯台、瓢箪、ラスク

灯台下暗しと言うべきか、

瓢箪から駒と言うべきか。

 

これは、ラスクの話。

 

ミトンがラスクを作り始めたのは、

今年始めのことだった。

パン屋の定番であるにもかかわらず、

店がオープンしてから、

随分と月日が経ってのことである。

 

それまで作らなかったのは、

ラスクなんてありきたりなモノは

なかなか売れないだろう、

と思っていたからだった。

 

その考えを変えてくれたのは、

ミトンの斜め向かいに店を構える

『懐古喫茶 桜海』さんである。

 

桜海さんと言えば、

高屋にお住まいの方なら誰もが知っている

おしゃれで可愛らしいお店。

 

豊富なメニューは

どれもボリューム満点で美味しい。

リピート必至の人気店。

また、

ランチやディナーのみならず、

奥様が作るケーキや焼菓子も評判である。

 

ミトンもオープン時から

ランチに、ディナーに、弁当に、

大変、お世話になっている。

 

その桜海さんが、

ある日、

ミトンのイギリスパンで

シュガーバターラスクを作ってくれたのだ。

 

ミトンではなく、

桜海さんのレジ横にラスクが並んでいる。

試しに食べてみた。

 

これが、思いのほか美味い。

カリッ、サクッ、ジュワッ。

一瞬でラスクのイメージを覆された。

 

パンを作っていながら、

なんともお恥ずかしい話である。

 

こんな美味しいものを

パン屋が作らない訳にはいかない。

即、商品化決定である。

 

イギリスパンの底知れぬポテンシャルは、

桜海さんに教えられた。

 

ラスクと言えば、

今年も作ることを高らかに宣言していた

広島東洋カープ応援パン。

その名も「カ舞吼揚げパン」。

試行錯誤の末、

「カ舞吼揚げラスク(ノンフライ)」

に行き着いた。

 

歌舞伎揚げ(関西ではぼんち揚げ)に

ヒントを得て、

だしを効かせた和風ラスクを作ってみた。

仕上げには、

カープの赤を意識して、

一味唐辛子をパラリ。

なお、

こちらはフランスパンのラスクとなっている。

 

今年も例によってスベる覚悟はできている。

たとえミトンがスベったとしても、

カープは躍動してくれると信じている。

 

いよいよ今日から、

日本一への最後の戦いが始まった。

試合に触れると止まらなくなるので、

カープの話はこの辺で。

 

話をラスクに戻す。

 

桜海さんのお陰で、

シュガーバターラスクに留まらず、

今回は「カ舞吼揚げラスク」も

作ることができた。

 

灯台下暗し。

瓢箪から駒

どちらも、アリである。

 

暗くて何も無いと思っていた灯台の下には、

たくさんの瓢箪があった。

その瓢箪の中から出てきたのは、

駒ではなく、

想像以上に美味しいラスク。

 

ミトンにとってラスクとは、

そういうものである。

 

まちのパン屋は、

今日もラスクを作る。

素敵な瓢箪を見つけてもらったことに

感謝をしながら。

 

とはいえ、

頭の中は、

明日もカープのことでいっぱいである。

カープ坊やのバットも

フランスパンにしたくなる公私混同状態。

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仕込む

常に絶望と隣り合わせである。

パンを作る仕事をしたことがある人ならば、

誰もが一度は、その絶望を味わう。

 

それは、仕込みの話である。

 

パン屋で働き始めたばかりの頃、

私は、

パン生地を仕込む仕事を任されていた。

 

店の1日の売上は100万円を超える。

そのパン生地を

ほぼ1人で仕込む。

自分が一つ失敗すると、

そこそこ大きな損失が発生するというのは、

結構なプレッシャーである。

 

単純な作業ほど

難しいということを思い知った。

自分で自分が信じられなくなるのだ。

 

水の量を計り間違えて、

多く入れてしまった。

ミキサーの中でまとまるはずの生地が、

とんでもないことになっている。

 

水が多すぎてシャバシャバの状態。

それは、真っ白な地獄絵図であった。

 

けれども、

すぐに分かる絶望なら、まだいい。

恐ろしいのは、

遅れてやってくるヤツである。

 

パン酵母の計量を間違えたらしい。

バッチリだと思っていた生地が、

死んだようになっている。

一時間経ってもほとんど発酵していない。

 

呆然。

まるで、

9回に逆転サヨナラホームランを打たれた

ピッチャーの気分である。

 

ドラえもん

タイム風呂敷があればと思ったのは、

一度や二度ではない。

 

絶望と隣り合わせの仕込みに

悪戦苦闘する日々。

あるとき、

そんな話を

遠くで働く同期にしてみた。

 

すると、

メールで一つ

言葉を送ってくれた。

 

「仕込むとは、未来を信じること、だって」

と。

 

「頑張れ」でも、

「大丈夫」でもなく、

「未来を信じろ」という。

 

キザな台詞である。

どうやら、

パン作りに携わる人の言葉ではないらしい。

しかし、どこかしっくりきた。

 

仕込むとは、未来を信じること。

 

その言葉は今でも、

心の片隅に留めている。

 

ひとまず、次はシュトレン。

夏の終わりに仕込んだ

大量のフルーツは、

心踊るクリスマスまでの日々を

あと少し先の未来を

信じている。

 

まちのパン屋は、

明日もパンを仕込む。

あの日々の絶望は、もうない。

 

今あるのは、信じている未来である。

誰かの食卓に届く、少し先の未来。

そして、

その食卓が本当に

生活として、

文化として、

ここに根付いていく

ずっと先の未来。

 

正直なところ、

道のりはまだまだ長いと感じる日々である。

 

仕込むとは、未来を信じること。

 

調べてみると、

どうやら味噌屋さんの言葉のようである。

 

味噌といえば、

日本の食卓には欠かせないモノだ。

そういう意味で、

いつか、

パンも同じだね、

と言ってもらえるようになると、

パン屋はうれしい。

 

今度は、

味噌屋とパン屋。

意外と気が合うかもしれない。

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国産

まちのパン屋は住宅街に店を構え、

オープン時間は朝から夕方まで。

この条件の下、

やはり出会ったのは、ただの一度。

 

お酒を飲んで、

きっちり出来上がったお客さんである。

 

からの「国産」の話を。

 

あれはミトンオープンから間もない、

12月の夕方。

店の前の通りを歩いていた男性が、

フラリとご入店。

年齢は50〜60歳台といったところ。

特徴といえば、

明らかに酔っ払っていることだった。

 

一言二言、言葉を交わし、

上機嫌でパンを選び始める。

 

すると、

ベーコンエピを指差して質問。

「このベーコンは、国産かな?」

 

「はい。

    国産のベーコンを使用しております。」

 

お客さん、

納得のご様子でトレイに載せる。

 

これまた、

アップルパイを指差して質問。

「このリンゴは、国産かな?」

 

「はい。

   国産のリンゴを使用しております。」

 

お客さん、

納得のご様子でトレイに載せる。

 

こちらが少し安心していると、

お客さんも、さらにご機嫌になった。

 

そして、嬉しそうに教えてくれた。

「ワシは彼女が3人おるんじゃ!3人!」

「みんな、フィリピンの女の子!」

 

ん?

 

「いや、そこは国産じゃないんかい!」

という会心の一撃は、

立場上、必死に飲み込んだ。

 

そんな訳で、

彼は、忘れられないお客さんである。

 

ただ、それだけではなく、

彼は、一つ大事なことを教えてくれたと

今は思っている。

 

最近、

食べ物に関しては、

「国産」というフレーズが

ブランド化され、

独り歩きしていることが多々ある。

 

 「国産」というレッテルが、

闇雲に良いものであると信じられ、

その中身が見られないことも少なくない。

 

彼のように、

「国産」が大事な場面があれば、

そうじゃない場面だってある。

 

大切なのは、

「国産」であろうと無かろうと、

レッテルに捉われることなく、

その中身の善し悪しを

きちんと判断することである。

 

これは、

実際にやってみるとなかなか難しい。

考えることを止めてしまうと

その判断ができなくなってしまう。

 

パンという、

異文化の象徴のようなモノと

向き合っていると、

その「国産」問題にぶつかることも

余計に多くなる。

 

きっと、

これからも考え続けるしかない。

 

 

思いもよらず、

話が綺麗にまとまってしまった。

彼に感謝したい。

 

まちのパン屋は、

明日もベーコンエピを焼く。

 

ベーコンは「国産」だ。

 

それは、

大山ハムのベーコンが、

このパンと一番相性が良く、

パンを最高に美味しくしてくれると思うから。

 

だから今、

「国産」のベーコンを使っている。

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あの衝撃を超えるものに、

未だ出合っていない。

 

というのは、デニッシュの話である。

 

そのデニッシュを食べたのは、

パン屋で働くことを考え始めたとき。

会社説明会で出された、

焼き立てのダークチェリー。

 

一口食べた瞬間、衝撃を受けた。

美味しい、感動、なんてもんじゃない。

 

今まで食べてきた

デニッシュと呼ばれるものは、

デニッシュではなかったことを知った。

そして、これを作りたいと思った。

 

願い叶って、

実際にパン屋で働くようになってから、

焼き立てのデニッシュを何度も食べた。

しかし、

あのときの衝撃を超えるデニッシュには

なかなか出合えなかった。

焼き立てで、同じデニッシュを食べても

何かが違うのである。

 

 

実は最近、

その理由をひとつ、

見つけたような気がしている。

 

皿である。

 

あのとき衝撃を受けたデニッシュは、

焼き立てで、皿に載せられていた。

 

一方、パン屋で食べる焼き立ては、

包装された袋のまま

食べてしまうことが多い。

 

皿というのは不思議なものである。

 

パン屋で働くようになり、

パンを皿に載せると、

立派な食卓になるということを知った。

 

袋に入ったパンは、

どんな美味しいパンでも、

そのまま食べてしまえば、

ただのパンである。

 

しかし、

パンを皿に載せると、

どんなパンでも

華やかな朝食に、

おしゃれなランチに、

特別なディナーになる。

 

デニッシュも同じ。

デニッシュの美味しさは、

皿の上にこぼれ落ちる、儚い層にある。

一息に食べてしまうのが惜しくて、

一度手を止める。

その気持ちを、

皿が受けとめてくれる。

 

デニッシュの美味しさは、

感動は、

衝撃は、

皿の上にこそあるのだ。

きっと。

 

まちのパン屋は、

明日もデニッシュを焼く。

 

明日は

いくつか多めに焼いて、

皿の上に載せて食べてみようか。

 

心して、確かめたい。

 

果たして、

あのとき食べたデニッシュの衝撃を

超えられるだろうか。

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油絵に習う

どうすれば、その魅力が伝わるだろうか。

 

フランスパンの話である。 

 

と見せかけて、絵画の話をしてみたい。

 

先日、『美の巨人たち』というTV番組で、

画家・東郷青児氏の油絵を取り上げていた。

 

ざっくりと内容を説明する。

スポットが当てられたのは、

『望郷』という作品。

『望郷』の特徴は、

油絵とは思えない、

まるでCGのような絵の質感である。

その表現方法は、

日本的な女性の美しさを描くために、

西洋的、古典的な油絵の技法に抗うことで

成されたそうだ。

色を塗り重ねないという、

油絵らしからぬ技法により、

日本の美を表現している。

 

油絵としては、まさしく異端。

しかし、

その絵の美しさは、

今なお、観る人の心を捉えている。

 

さてさて、

フランスパンの話である。

 

まちのパン屋で、

西洋のパン、

フランスパンの魅力を伝えるのは、

なかなか大変だ。

カレーパンやクリームパンに比べて、

初めて手に取ってもらう時には、

少々ハードルが高くなる。

 

どうしても、

フランスパンには、

硬い、食べるのが面倒、といった

ネガティヴなイメージがついている。

 

どうすれば、その魅力が伝わるだろうか。

 

ヒントは

思いもよらぬところにあるはずだと、

いつも探している。

 

そこで今回は、『望郷』である。

 

まちのパン屋は、

『望郷』にフランスパンを重ねる。

 

日本的な美の表現を求めて、

独自の油絵の技法を確立することに、

日本的なフランスパンというものを

重ねたくなるのだ。

 

日本的なフランスパン。

実は、それをずっと探しながら、

少しずつ、少しずつ、

レシピを変えている。

 

その途中、

今回は、一枚の油絵に出合った。

これもひとつのヒントである。

しかし、まだまだ答えは見つからない。

 

それでも今、

確かな思いとしてあるのは、

『望郷』のように、

いつまでも心に残り、

生活に根付くようなモノを作りたい

ということである。

 

まちのパン屋は、

明日もフランスパンを作る。

カ舞吼!←「かぶく!」と読みます

リベンジに燃えている。

 

何を隠そう、

プロ野球広島東洋カープの話である。

 

うちに来店される

プロ野球ファンの方にはお馴染みだが、

まちのパン屋mittenは、

カープを応援している。

 

昨年は、

悲願のリーグ優勝と

日本シリーズ進出を記念して、

2016年カープスローガンにちなんだ、

『真赤檄カレーパン』(あんまり辛くない)

なるものを作った。

 

結果、見事にスベった。

カレーパンはそれなりに好評だったが、

カープに対する盛り上がりは、

ほぼ皆無。

カープの躍進が、

まるで海の向こうの出来事のように感じた。

 

アウェイの洗礼とは、まさにこのことである。

やはり岡山は、

阪神ファン、巨人ファンが多い。

 

残念ながら、

カープ日本シリーズに敗れ、

日本一を逃すこととなった。

 

だが今年、

カープはリーグ連覇を成し遂げた。

カープとしても、ミトンとしても、

リベンジのときが近づいてきている。

 

今年こそカープは、

CS、日本シリーズと勝ち進み、

日本一の栄冠を手にしてほしい。

ミトンは、変わらずカープを応援しつつ、

その存在感を岡山でアピールしていこうと思っている。

 

今年のカープのスローガンは、

『カ舞吼(かぶく)』である。

文字通り、歌舞伎にちなんでいる。

ということで、

只今、『カ舞吼揚げパン』構想中だ。

 

カープ33年ぶりの日本一へ、

まちのパン屋はその願いと共に、

今日もパンを作っている。

 

いやいや、一戦一戦、

共に戦っているといっても過言ではない。

まちのパン屋も密かに、

リベンジに燃えている。

 

今年も、楽しみはまだまだ終わらない。

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