ミトンブログ

岡山市中区高屋のパン屋、mittenのブログ。

仕込む

常に絶望と隣り合わせである。

パンを作る仕事をしたことがある人ならば、

誰もが一度は、その絶望を味わう。

 

それは、仕込みの話である。

 

パン屋で働き始めたばかりの頃、

私は、

パン生地を仕込む仕事を任されていた。

 

店の1日の売上は100万円を超える。

そのパン生地を

ほぼ1人で仕込む。

自分が一つ失敗すると、

そこそこ大きな損失が発生するというのは、

結構なプレッシャーである。

 

単純な作業ほど

難しいということを思い知った。

自分で自分が信じられなくなるのだ。

 

水の量を計り間違えて、

多く入れてしまった。

ミキサーの中でまとまるはずの生地が、

とんでもないことになっている。

 

水が多すぎてシャバシャバの状態。

それは、真っ白な地獄絵図であった。

 

けれども、

すぐに分かる絶望なら、まだいい。

恐ろしいのは、

遅れてやってくるヤツである。

 

パン酵母の計量を間違えたらしい。

バッチリだと思っていた生地が、

死んだようになっている。

一時間経ってもほとんど発酵していない。

 

呆然。

まるで、

9回に逆転サヨナラホームランを打たれた

ピッチャーの気分である。

 

ドラえもん

タイム風呂敷があればと思ったのは、

一度や二度ではない。

 

絶望と隣り合わせの仕込みに

悪戦苦闘する日々。

あるとき、

そんな話を

遠くで働く同期にしてみた。

 

すると、

メールで一つ

言葉を送ってくれた。

 

「仕込むとは、未来を信じること、だって」

と。

 

「頑張れ」でも、

「大丈夫」でもなく、

「未来を信じろ」という。

 

キザな台詞である。

どうやら、

パン作りに携わる人の言葉ではないらしい。

しかし、どこかしっくりきた。

 

仕込むとは、未来を信じること。

 

その言葉は今でも、

心の片隅に留めている。

 

ひとまず、次はシュトレン。

夏の終わりに仕込んだ

大量のフルーツは、

心踊るクリスマスまでの日々を

あと少し先の未来を

信じている。

 

まちのパン屋は、

明日もパンを仕込む。

あの日々の絶望は、もうない。

 

今あるのは、信じている未来である。

誰かの食卓に届く、少し先の未来。

そして、

その食卓が本当に

生活として、

文化として、

ここに根付いていく

ずっと先の未来。

 

正直なところ、

道のりはまだまだ長いと感じる日々である。

 

仕込むとは、未来を信じること。

 

調べてみると、

どうやら味噌屋さんの言葉のようである。

 

味噌といえば、

日本の食卓には欠かせないモノだ。

そういう意味で、

いつか、

パンも同じだね、

と言ってもらえるようになると、

パン屋はうれしい。

 

今度は、

味噌屋とパン屋。

意外と気が合うかもしれない。

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