ミトンブログ

岡山市中区高屋のパン屋、mittenのブログ。

代打

3月は、

代打陣の活躍が目覚ましい。

というのは、

もちろんパン屋の話である。

 

この季節は、

特別な行事も多く、

また、新年度の準備など

何かと忙しい。

 

さらには、季節の変わり目。

体調も崩しやすく、

花粉症に悩まされ、

外出するのも億劫になる。

 

いつものパンを求めて

お見えになる方も

それは同じ。

 

そんな

レギュラー陣のピンチに活躍するのが、

「代打」の方々である。

 

奥様に代わり、旦那様。

旦那様に代わり、奥様。

 

その起用法は、

人それぞれ異なる。

ただ、

代打陣は皆、

監督の作戦には忠実に従うようである。

 

「6枚切の山型パンを1斤。」

「編みパンの半分は、これかな?」

 

確認を怠らず、脇目もふらない。

代打を成功させるために必要なのは、

やはり、集中力のようである。

 

ある日、

一人の男の子がご来店。

(珍しいな。)

と思ったのも束の間、

電話が鳴った。

 

「よろしくお願いします。」

電話の主は、

今、目の前にいる男の子のお母さん。

諸事情で来られないため、

彼を代打で起用したようである。

 

電話をしながら

男の子をチラッと見る。

(「その電話はお母さんだな。

 大丈夫。ちゃんと買って帰るから。」)

サッと逸らした彼の目が、

そう言ったような気がした。

 

とはいえ、

代打の成功を任された立場からすると

やはり気になるものである。

 

パンを並べながら、

彼が持っているメモを

後ろから覗いてみた。

 

すごい。

お母さん監督作成のメモには、

いくつかのパンの絵と共に

鋭い分析まで付け加えられている。

 

「あんパン2個セット。1個は普通の。

 もう1個は何か分からない。」

ちょうど季節の変わり目は、

商品入れ替えの時期である。

 

経験が必要とされる作戦に

若干の戸惑いを見せる彼。

思わず、

投げる球種を教えるが如く、

「たぶん、これだよ。」と

『さくらあんパンセット』を手渡した。

 

まちのパン屋は、

今日もパンを作る。

 

野球の代打では、

4割も打てれば

「神様」と崇められるところである。

 

しかし、

まちのパン屋では

そうはいかない。

 

突然の代打起用にも

目指すはもちろん、

打率10割。

あるいはそれ以上。

 

そんなことを考える春の日。

野球の開幕も近づいている。


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3.11のあと

2011年3月11日、東日本大震災

あれから7年の月日が流れた。

 

あのとき私は、

埼玉のパン屋で働いていた。

 

震災による埼玉の被害自体は、

それほど大きかったわけではない。

けれども、

その日から何気ない日常は激変した。

 

コンビニやスーパーの棚からは、

瞬く間に食料品が消えた。

計画停電によって知ったのは、

それまで当たり前にあった便利さである。

 

もちろん、

パン屋を取り巻く日常も一変した。

 

コンビニやスーパーの商品が消えると、

百貨店内のパン屋には、

いつも以上の人が殺到した。

店のオープン時間前、

デパ地下の入口に押し寄せる無数の人々。

その光景には、

さながら映画のワンシーンのような

恐怖感さえ覚えた。

 

彼らが求めるのは、

おしゃれなデニッシュでも、

変わり種の惣菜パンでもない。

 

皆が我先にと手に取るのは、食パン。

食べやすくスライスするのも

追いつかないほど、

とにかく食パンが売れた。

 

むしろ、

食パンのスライスなんて必要ないという人が

ほとんどだった。

 

その理由は明白。

いつ起こるともしれない余震の影響で、

火の使用は極力避けられる。

さらに、

計画停電によって満足に電気も使えない。

 

火を使わないでも、

調理や味付けなしでも、

食べたいときに少しずつ食べられる。

スライスしなければ、

それなりに日持ちもする。

 

こうして、非常食となった食パン。

計画停電の中、

いつ電源が落ちるかも分からない

オーブンと睨み合いながら、

私も必死に食パンを作っていた。

 

ときには、

物流機能がマヒした影響で

一部の材料の調達が困難となる。

それでも何とか、

自分たちの足で材料をかき集め、

食パンを作り続けた。

 

 あの日からしばらくの間、

食パンは嗜好品などではなく、

間違いなく、生活必需品となっていた。

街からは、

「パン屋巡り」なんていう言葉は消えた。

 

私の中でも、

パン屋の仕事に対する価値観が少し変わった。

それまで、

焼きたてで美味しそうなパンを出せば、

お客さんも喜ぶと

どこか軽く考えていたパン屋の仕事。

 

しかし、

鬼気迫る様子で食パンを求める人々を見て、

今まで感じたことのない

何か重たいモノが心の中に落ちた。

3.11のあとの日々に、

私は、

パン屋の仕事の本質を見たような気がした。

 

まちのパン屋は、

今日も食パンを作る。

 

あれから7年が過ぎ、

今は、

どこでも

食パンが当たり前に買える日常がある。

 

パン屋だって、

レジャー施設や

アミューズメントパークのような

店づくりをすれば、

簡単に多くの人を喜ばせることができる。

そんな時代である。

 

けれども、

私たちには、それができない。

あのとき気づいた、

何気ない日常の儚さが、

あのとき痛感した、

当たり前の便利さが、

今も記憶に甦ってくる。

 

岡山という、

自然災害がとりわけ少ない場所においても

それは変わらない。

だから、

まちのパン屋は、

何気ない、

普通の食パンを大切にしている。

 

かと言って、

なにも食パンが

生活必需品だと言いたいわけではない。

 

まちのパン屋が

大切にしている豊かさ。

それは、

食パンを

色んなアレンジで食べることができる

何気ない日常の中にあると思っている。

 

当然、大災害が起きることなんて望まない。

ただ、

この日常にある豊かさを

食パンに乗せて、

一人でも多くの人に伝えたい。

 

3.11のあとは、

今も確かに

ここで続いている。


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落語

先日、落語を聞きに行ってきた。

岡山では初となる

春風亭一之輔独演会』。

彼は今、最も注目の噺家の一人。

期待した以上、

大満足の2時間半であった。

 

その内容を踏まえて、

ひとつ、思ったことがある。

 

それは、

噺家とパン屋は似ている、

ということ。

いや、

むしろ同業者と言っても過言ではない。

 

一般的に

古典落語というのは、

江戸時代から明治・大正時代に

作られた演目を指す。

噺家は、

時代に合わせ、

古典落語に様々なアレンジを加えて演じる。

 

パンにも同じようなところがある。

例えば、フランスパン。

現在のフランスパンの形が完成されたのは、

20世紀初めのこと。

その後、時代や地域のニーズに合わせ、

パン屋が様々な工夫を凝らしながら

作られ続けてきた。

 

 『芝浜』だって、『時そば』だって、

食パンだって、あんパンだって、

その基本的な形は変わることなく、

現在まで受け継がれ、

広く愛さるモノとなっている。

 

しかし、

基本的な形が変わらないということは、

ときに難しさにもなる。

 

「あー、またこの噺を演るのか。」

「あー、またこのパンか。」

 そう思われることも少なくない。

 

「いやいや、同じに見えても

 いつもとは違うんだよ!実は。」

 

ほんのちょっとずつ、

何かを変えながら、

たまには、原点に戻りながら、

少しずつ良くなっていると信じている。

 

まあ、そんなパン屋も噺家

何かと世間から

批評されがちなのは、

親近感を覚えるところである。

 

噺家とパン屋、

そんなに似ていると言うならば、

いつもブログを読んでくれる方に

その気持ちを形で示してみるのはどうだい。

 

ということで、

ささやかながら

期間限定で落語サービスをやります。

 

古典落語『饅頭こわい』の

オチにヒントを得て、

その名も「うまいコーヒーが1杯怖い。」

 

『饅頭こわい』 をご存じない方は、

Wikipedia等であらすじを

確認していただけるとスムーズです。

 

サービスの概要。

レジにて、

「コーヒーが怖い」と

言っていただいた方に

ホットコーヒーを1杯差し上げます。

いや、正確に言うならば、

押し付けます。

 

情感たっぷりに

「濃いコーヒーが1杯怖い!」

と言ってくだされば

より雰囲気が出ると思います。

 

しかし、

何も事情を知らない方が見ると

ヤバい人だと勘違いされかねません。

なので、

サラッと

「コーヒーが怖いんですけど。」

などと言っていただければOKです。

 

サービス期間。

3月8日から19日の営業日。

13時30分から閉店までの時間。

パンをお買い上げの方、

期間中お一人様一回限りでお願いします。

 

まちのパン屋は、

今日もパンを作る。

 

「パンが怖い」と言われると

全力で対応してしまうため、

どうかご遠慮願いたい。

 

広い心をお持ちの皆さま、

是非ともこの機会に

まちのパン屋の茶番にお付き合いください。

 

私たちも

「おいしいコーヒーを淹れるのが怖い。」


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昼休みの売店には、

まちのパン屋さんが

パンを売りに来ていた。

 

私が、高校生のときの話である。

授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、

瞬く間に

売店の前には人だかりができる。

 

人気のパンは争奪戦。

売店のパン屋さんは大盛況。

連日のようにパンは売り切れていた。

 

その理由は、

パンがおいしいから、

というのは間違いない。

ただ、

大繁盛の理由は、

もうひとつあったのではないかと思っている。

 

それは、売店のお兄さん。

とにかくイケメンなのである。

そのお兄さんは、

2人組ロックバンド、

ポルノグラフィティ新藤晴一氏に

そっくりであった。

 

もう、一部の女子生徒からは

ハルイチ!」と呼ばれていたくらいだ。

 

ハルイチ(敬称略)がパンを売れば、

そりゃあ売店のパン屋も大繁盛する。

そうは言っても

ハルイチが、

どこのパン屋にもいるわけではない。

 

ただ、

たとえ、ハルイチがいなくとも、

パン屋は「顔」を大事にしている。

 

「顔」は、人のみにあらず、

パンだって持っている。

一つ一つのパン、

それぞれに「顔」、

あるいは「表情」というモノがある。

 

パンだって、

いい「顔」のパン、

いい「表情」のパンがあるのだ。

 

なにも、

キラキラのフルーツが乗ったパンが、

他と比べて

イケメンというわけではない。

 

表面に塗った卵のツヤが、

綺麗に乗ったクリームパン。

程よく蒸気が乗り、

しっかりクープが立ち上がったフランスパン。

絶妙なホワイトラインを持った角食パン。

 

それぞれのパンに、

それぞれのいい「顔」、

いい「表情」というモノがある。

 

やはり、

いい「表情」のパンは、

お客さんから選ばれるのも早い。

 

人間ならば、

「顔だけじゃなくて、性格も大事だよ。」

なんてことも言える。

 

しかし、

パンは、そうはいかない。

お客さんにとって

初めてのパンを選ぶときは、

「顔」が全てと言っても過言ではない。

 

「こんなですけど、性格はとてもいいです。」

そんなフォローをパンに入れたところで、

あまり聞き入れられない。

 

はたまた、

動物のように「ブサかわ」なんて

寛大なジャンルもない。

 

パンは、

いい「顔」、

いい「表情」に焼き上げないと、

なかなか振り向いてはもらえない。

 

だから、

毎日、同じパンでも、

微調整、微修正を繰り返す。

そうして少しでも、 

いい「顔」のパンを焼こうと、

私たちは考えている。

 

まちのパン屋は、

今日もいい「顔」のパンを焼くために

試行錯誤を繰り返す。

 

たまには、

売店のパン屋さん、

ハルイチを思い出す。

あなたがここにいたら』と

考えないこともない。

 

当然、

まちのパン屋に

ハルイチはいない。

 

けれども、

いや、だからこそ、

いい「顔」、

いい「表情」のパンを作ろうと

常日頃、心掛けている。

 

もちろん、

そこは性格も伴っているつもりだ。


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ブーム

平昌オリンピック

各国の選手が躍動している。

 

メダルラッシュに沸き、

日本中が盛り上がったときにやってくるのが、

◯◯フィーバー、

あるいは、◯◯ブームというヤツである。

 

今回は、

どんなブームが起こるのだろうか。

まちのパン屋も

ブームには敏感だ。

 

ただ、

このブームというヤツは、

いつも逃げ足が速い。

 

パン屋だって

今まで色んなブームが通り過ぎていった。

焼きたてパンブーム。

天然酵母ブーム。

塩パンブーム。

今は、

生食パンブームといったところか。

 

例えば、塩パン。

一時、

その熱狂は全国的にも凄まじいモノであった。

あれから時は過ぎ、

ここ岡山市に於いては、

塩パンブームも

やや落ち着きつつある。

 

しかし依然として、

愛媛県にある

塩パンブーム発祥の店では、

その熱は冷めることなく

今も燃え続けている。

 

お客さんが次々に、

塩パンを10個、20個とトレイに乗せている。

焼きたての塩パンが

製造室から次々に運ばれてくる。

 

私たちも、

それを目の前で見たことがある。

 

素直に凄いなと思った。

これは、私たちにはできないことだ。

 

けれども、

目の当たりにした熱狂に

少しの寂しさを感じるのは、

私たちがパン屋だからである。

 

今日、

塩パンを20個買ったこの人は、

次はいつ

ここを訪れるだろうか。 

 

いつか、この人も

塩パンを食べることに

手土産にすることに

飽きてしまう日がくるのだろうか。

 

少し冷めた

焼きたてではない塩パンは無視され、

視線はいつも、

新しいモノを追っている。

 

果たして

焼きたてではない塩パンに

価値は無いのだろうか。

 

だが、

そんなことはお構い無しと言わんばかりに、

塩パンは次々に焼かれていく。

今日も、明日も焼かれていく。

 

ブームというヤツは、

とても逃げ足が速い。

追いかけても、

追いかけても、

キリが無いモノである。

 

まちのパン屋の体力では、

とても追いつきそうにない。

 

ならば、

ブームが去っても必要とされるような

塩パンを焼くまでである。

 

飛ぶように売れるようなことはなくとも、

誰かが

毎週のように1個、

食べたくなる塩パンを作る。

 

焼きたてでなくとも、

次の日の朝でも

おいしく食べてもらえる塩パンを作る。

 

塩パンブームは過ぎ去っても、

あなたの

私たちの

日々の生活は、ずっと続いていく。

 

塩パンブームに抗いながら、

まちのパン屋は、

今日も塩パンを作る。

 

先日、

一人のお客さんから言われた言葉が

心に残っている。

 

彼の名は、

森田さん(仮名)という。

 

森田さんは、

こちらが驚くほど

本当によく通ってくれる男性のお客さん。

 

会計を終えた彼が

去り際に冗談ぽく言ってくれた。

「もし僕が現れなくなったら、

 森田は死んだと思って下さい。

 そのときは、同僚が報告に来ますから。」

 

なんともファンキーな激励である。

この言葉、

満面の笑みで喜ぶのは、

何だか違う。

なので、

自分たちへの戒めとして

有り難く受け取ることにした。

 

確かに彼は、

私たちが良いときも悪いときも

ずっと顔を見せに来てくれている。

 

それでも決して

「死ぬまで来続けますから。」

と言わないところが、

彼のイイところだと

私たちは密かに思っている。

 

パン屋を取り巻くブームは、

いつでも通り過ぎていくばかりだが、

彼の

私たちの

日々の生活は、ずっと続いていく。

 

今日も

平昌で輝く選手たちがいる。

その耀きの中に

語り尽くせない程積み上げた

彼らの

日々の生活を思うのは、

私たちがパン屋だからである。

 

ブームの後も

日々の生活は、ずっと続いていく。

塩パンだって同じように。

 
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ショコラーデ

『日本は、義理チョコをやめよう』

そんな、某チョコレート会社の

新聞広告が話題になった。

 

これに対して

世間では賛否両論沸き起こっている。

私たちは、というと

正直、どちらでもよいと思っている。

 

というより、

どちらかというと私たちも

バレンタインデーを盛り上げる側の人間である。

偉そうに

とやかく言っている場合ではない。

 

パン屋だって

バレンタインデーに一花添えたいと思っている。

だからミトンは、

バレンタインデーに

「ショコラーデ」をオススメしたい。

 

「ショコラーデ」というのは、

ドイツ語でチョコレートを意味する言葉である。

だが、パン屋が作る「ショコラーデ」は

チョコレートではない。

ミトンが作るのは、

ドイツ生まれの発酵菓子を

チョコレート仕様にアレンジした

「バレンタインシュトレン」である。

 

昨年も同じコンセプトで

「ショコラーデ」を作ったのだが、

今年は、

より本格的な「シュトレン」に

近いものに仕上げてみた。

美味しさのポイントは

真ん中に巻き込んだ「カカオマジパン」である。

 

他にもこだわりは色々あるが、

それは実際に食べてもらえると分かるので、

黙っておきたい。

 

まちのパン屋が、

「ショコラーデ」で伝えたいのは、

バレンタインデーという特別な日を

もっと楽しんでほしいということだ。

 

「シュトレン」は、

少しずつスライスしながら

時間をかけて食べられる。

 

そのいいところは、

特別な日の楽しみを

近くの大切な人と分けあえて、

長い時間、大切にできることである。

 

もちろん、

一晩で、一人で、

ペロりと食べていただくのも

大いにアリだと思っている。

 

実は、

私たちも一晩でペロり派だったりする。

分かっていても、

一度食べ出したら止められないのだ…

 

まあ結局のところ、

パン屋のバレンタインに

堅苦しい決まりは必要ないのである。

 

まちのパン屋は、

今年も「ショコラーデ」を作る。

 

「バレンタインシュトレン」、

名付けて「ショコラーデ」。

人の時間を紡ぐ「シュトレン」には、

「義理」なんて言葉は似合わない。

 

パン屋の特別な日は、

いつも

何気ない日常の延長線上に

あるような気がしている。

 

「義理」なんて

つまらないことは置いておいて、

今の特別な日常を楽しんでほしい。

ふと食べてしまえば、

おのずと大切な時間になってしまう。

 

それが、

まちのパン屋が送るバレンタイン、

「ショコラーデ」である。


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名もなき家事

衝撃が走った。

電撃解任である。

 

というのは、

どこかの相撲協会の話ではない。

これは、

とある家庭の「家事」の話である。

 

数日前、

一人の女性が

食パンを手にレジへやってきた。

 

「主人が来たら、

 もう買ったからと伝えてください。」

 

そう言われて、ハッとした。

今、目の前にいる女性は、

毎週食パンを買いに来る男性の奥様である。

何度かお見かけしたことはあったが、

久しぶりのご来店だ。

 

一瞬、?マークを浮かべた私に

奥様が呟いた。

 

「最近、主人が忘れっぽくて。

 だから今日は私が買いにきたの。」

 

昨今、ネット上で

「名もなき家事」という言葉が話題になっている。

 

「名もなき家事」という言葉は、

夫婦間の家事に対する

認識の違いを示すときに用いられる。

 

例えば、トイレットペーパー。

トイレットペーパーが切れたら、

買いに行かなければならない。

 

些細な事と言えば、些細な事である。

しかし、

とある調査によると、

「トイレットペーパーを買いに行く」

という行動を「家事」だと認識している妻が

80%を超えるのに対して、

夫は、60%台に留まるという。

 

この他にも

「洗濯」と言えば、「家事」となるが、

例えば「洗濯用洗剤を買いに行く」、

「洗濯物を仕分ける」という行動は、

それを「家事」と捉えるか否か、

夫婦間で微妙な認識の違いが出てくるという。

 

このような認識の違いこそが、

「名もなき家事」の示すところである。

 

先ほどの奥様の言葉を聞いて、

パン屋もふと考えさせられた。

 

もしかすると、

「パン屋に食パンを買いに行く」というのも

「名もなき家事」なのかもしれない。

 

そんなことを思っていると、

つい先日、

奥様が再びやって来た。

 

ついに、

その日が来てしまったのだ。

「食パンを買いに行く」という家事、

旦那様の電撃解任である。

 

「今度からは、私が食パンを買いに来ますね。」

 

奥様は、

そう言って食パンを買って行った。

 

実は、

ミトンで食パンを買うお客さんは、

意外と男性も多い。

 

皆さん

「パン屋で食パンを買う」という使命を

奥様から仰せつかっているのでは、

と推測している。

 

まちのパン屋は、

今日も食パンを作る。

 

正直なところ、

パン屋としては、

せっかく食パンを買いに来てくれた方を

「名もなき家事」呼ばわりするのは、

なんだか心苦しい。

 

パンを買いに行くというのは、

日々の生活の中における

立派な「家事」である。

 

それでも「名もなき」と言われるならば、

まちのパン屋が、

勝手に命名しようと思う。

 

いつも、

「パン屋に食パンを買いに行く」

あなたは、

「食パンを買いに行く担当大臣」である。

 

電撃解任があるならば、

彼の電撃復帰も十分あり得ると

心のどこかで期待している。

 

まちのパン屋は、

「食パンを買いに行く」ことを

「名もなき家事」とは言わせない。

 

なんせ大臣である。

パンだけに要職なのだ。

 

失礼します。


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